13年ぶりの帰国と幼馴染とシラサギ

ご存知の方もいると思いますが、私は2022年12月、約13年ぶりに急遽一時帰国しました。なんで13年も帰らなかったか?それについてはまあ特に大した理由もないのでさておき、その私がなぜ突然一時帰国をしたのか?当時はまだ日本はコロナで制限がとても厳しく、未接種の私はまず陰性証明のために限られた時間制限で必要な検査を受けに行ったりいろんなアプリをダウンロードしたり、書類を用意したり、手持ちの古いiPhoneでは対応し切れなかったので日本用に新しいスマホ(と言っても中古)を購入してアプリを入れ直したり日本のSIMを予約したり・・

しかも帰国直前、1〜2週間前にコロナに罹患してしまった私、なんとも最悪な状況に。しかし後にこれがこの帰国の一連の流れの中で逆に有益となった事が判明します。PCR(この単語もすっかり使わなくなり完全に忘れていて、今調べて思い出しました。笑)検査も本当に大きな賭けの如くギリギリでしたが無事に陰性証明が発行されました。

そうしてなんとか一時帰国する事が出来たものの何しろ13年も帰ってないので完全に浦島花子状態。そんな私が約10日間地元に滞在した目的は、なんとしてでも一緒に生まれ育った幼馴染に会う事。しばらく病魔と闘って来た幼馴染Jちゃんはこの時もう終末期で、私にできる事なんか何もない。私が帰る事は本人には伝えていなかったので、同じく一緒に生まれ育った別の幼馴染Sちゃんにいろいろと手伝ってもらい、サプライズで会いに行きました。本当は会えるかどうかも分からなかったのに、滞在中も奇跡的な事が続いて本人とも数回会えて一緒にランチもできて、でもその短い期間ですら会うたびにすごいスピードで体が動かせなくなっていくJちゃん。みんなきっとこれが最後なんだって分かってるしいったい何を話せばいいのか分からないけど、3人で笑いながら本当にごく普通のなんでもない会話をして、Jちゃん家族と子供達にも会えて泣き笑いの中みんなで写真撮影。最後は「じゃあまたね!!」ってお別れしました。

実家はお互い目の前、生まれた時からずっと一緒だったけど、私は日本が嫌でとても遠い所に1人で来てしまった。そのことについては後悔はしていないけれどやっぱりこういう時は遠いね。

ところで、なんでシラサギかって言うと。

かつて日本にいた頃は全然気にも留めなかったんだけど今回地元のあちこちにシラサギ がいるのに気付いて、なんとなくシラサギを見るたびに写真を撮ってた私。その姿がいろいろと手伝ってくれた幼馴染Sちゃんにはすごく興味深かったらしく(笑)車に乗ってる時もシラサギを見かけたらわざわざ止めてくれたりで、今考えたら不思議なくらいサギが目にとまって、最後にJちゃんに会いに行く時も大きなサギを見つけてもちろん迷わず撮影。

それから、私の地元ではぜーーーんぶ「シラサギ」って呼んでたんですが後で調べたらシラサギと言う名前はなく「コサギ・チュウサギ・ダイサギ・アオサギ」などと細かい名称がありました。

しかしサギってなかなか素早くてシャッターチャンスが難しいんですよね。その後ウィーンに戻ってからトリオのアルバムをリリースしてそのブックレットを考えている時に、ふと「そうだ、あのサギを使おう!」と思い立って全部自分で編集してデジタルブックレットを作りました。フリー素材でも有料素材でもなく正真正銘のあの時の地元のサギです。当時はリリース作業と並行して毎日徹夜状態でした。

このアルバムとサギに関してはトリオウェブサイトの紹介ページでも書いているのでぜひ一読ください。

1年前の今日はそのJちゃんがおそらく最後の力をふりしぼって私に電話をかけて来てくれた日。メッセージはもう文字を打つ体力がないからと言って電話をくれた。「もうあと数週間生きられるか分からないんだあ」って自分の口からそんな事を伝えるほど辛い事はないはずなのに最後まで強くて、私はかける言葉もなくて「うん。大丈夫?」くらいしか言えなかったけどその後本当に最後にビデオ通話もできてバイバイできた。

数週間どころかその翌日。周囲に、そして本人に伝えられていたよりももっともっと早く、Jちゃんは亡くなりました。

やっと痛みから解放されて安らかに眠れてるかな。


Comments

“13年ぶりの帰国と幼馴染とシラサギ” への1件のコメント

  1. […] 前回ちょっと書き切れていなかったことがあるので続編です。 […]

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